初重ね
年も押し迫った大晦日。
明日には新年というその日に新選組屯所には奇妙な光景があった。
「おい・・・あれ、何だよ」
「俺に聞くなよ、左之」
「いや、だけどさ・・・どうして神谷がここにいるのさ?」
「判らねぇから、聞いてるんじゃねぇか。お前聞いてこいよ、平助」
「嫌だよ。怒った神谷って怖いし・・・原田さんが聞いてくればいいじゃん」
「じゃ、ぱっつぁん」
「断る」
障子を細く開けて副長室を伺う三馬鹿の声は中のセイには丸聞こえだった。
だが全く反応する様子も無く、ただ黙々と繕い物を続けるその姿は
確かに全身から不機嫌さを放っている。
「てめぇら。人の部屋の前で何をしてやがる」
背後から聞こえた声に藤堂達の背中がピシリと伸びた。
「ひ、土方さん」
藤堂が顔を引き攣らせながら室内をそっと指差した。
不機嫌そうに眉間に寄せた皺が室内を覗き込むと同時に尚深くなる。
パシリと無造作に開け放った障子の向こうでセイが顔を上げた。
「お前はこんな所で何をしてるんだ?」
見事なまでに声音に不機嫌さを乗せた土方の声に、藤堂たち三人は
再び背筋を正すがセイは一向に動じた様子も無く言い返した。
「ご不在の間にお邪魔しまして申し訳ありません。ですがこの部屋が最も
静かなのでお借りしておりました」
普段のセイからは考えられないほどの丁寧さが、その不機嫌の度合いを
表していた。
今日は朝から所用があって土方は他出していた。
副長室ともなれば機密書類も置かれており、何人もそうそう勝手に
入室する事は許されない。
それを知っているセイが、敢えて室内に入り込んでいたという事は、
それなりに何らかの事情があるのだろうと土方にも理解できた。
まして今日は大晦日だ。
普通ならば総司の妻となったセイは明日に控えた新年の支度に忙殺され、
家を離れる暇などあるはずもない。
「はぁぁぁ・・・・・・」
土方は大きな溜息を吐き出しながらセイの前に座った。
「で? 何があったってんだ?」
遠くからざわざわとした気配が伝わってくる。
セイの不機嫌を察して近づくのを控えていた連中が土方の帰営を知り、
事情を聞きだすのを待っているのだろう。
無言の期待と重圧を感じて土方は眉根を寄せる。
「・・・お願いがあって、副長のお戻りをお待ちしておりました」
全身から「怒ってます!」という気を発しているセイを見やりながら
土方は次の言葉を待つ。
総司がセイと喧嘩をして副長室へ駆け込んでくるのは、
もはや日常になりつつあるがセイが来たのは初めてだ。
余程の事なのかと無意識に身構える。
「しばらく里乃さんのお宅にお世話になろうと思っております。
ついては日々の費が必要となりますので、監察などの仕事を
させていただきたく」
「ちょ、ちょっと待て!」
セイの言葉を遮って土方が声を上げる。
今年の夏の初めに祝言を挙げてから、この馬鹿夫婦には
振り回され続けてきたが、家を飛び出すのも追い出されるのも
総司の方だったはずだ。
妻であるセイは何があろうと揺らぐ事無く山の神然と家にあった。
それが今、何と言った?
土方の脳裏でセイの言葉が繰り返される。
暫く家を出るからその間の暮らしを支える費用を得るために仕事を回せ・・・、
確かにそう言った、この女は。
「だ、だが、お前は今・・・」
動揺冷めやらぬままの土方に対して、セイは淡々と言葉を続ける。
「はい。確かにややを宿しておりますが、だからこそ出来る仕事も
あるのではありませんか? 諜報など・・・」
確かに妊婦が密偵だなどと誰も思わぬだろう。
そういう意味ではセイの言い分も理解できるが、それ以上にそんな事を
命じたなら周囲からの反発が恐ろしい。
この元隊士だった娘に関しては、近藤を始めとして一部隊が構成
できるのではないかと思えるほどの勢力が背後にいるのだから。
「仕事の件は置いておくとして・・・」
部屋の外から突き刺さるように放たれていた幾つもの視線が和らいだ事に
無意識に土方の肩から力が抜ける。
セイの言葉のままに諜報などを命じようものなら、次の瞬間には部屋に
雪崩れ込んできた神谷親衛隊とも言える男達に
袋叩きにあったかもしれない。
「一体なんで家を出るなんていい出したんだ?」
まずは理由を聞かねばどうにもならないと土方が問いかけた。
「はぁ? 総司が浮気だぁ?」
セイの話の途中で日頃のこの男からは考えられない素っ頓狂な声をあげた
土方の表情は、黒谷の会津武士達が祭り装束に身を包み、こぞって京の町中を
練り歩いていると聞いてでも、これほど驚かないだろうという程の
驚愕を表していた。
その驚きも当然だろう。
隊内随一の妻馬鹿で知られる男だ。
武士として、近藤のために働くという『誠』を唯一としていた男が、
その己の矜持と天秤にかけても遜色無い程に大切にしている
妻を余所に、他の女子に手を出すなど考えられない。
「総司に限ってそれだけは無ぇだろう・・・」
妙にしみじみ語りかける土方に向かってセイが不機嫌そうに答えた。
「わかってますよ、そんな事。ちゃんと話を聞いてくださいってば、副長!」
バンっ! と畳を叩いたセイの剣幕に背後の障子の向こうで
ざわめきが広がる。
どれだけの人間がこの部屋の様子を窺っているんだか、と
土方が溜息を吐きながら話の先を促した。
この夫婦の事に関してはどんな小さな事であれ、隊内で秘するのは
不可能だと嫌になるほど知っている。
今更外の連中を追い払う手間をかける気にもなれない。
そんな土方の諦観も知らぬまま、鼻息荒くセイが続けた。
「毎日のように女子の家へ通って行ってるんです。そして私の前で
挙動が不審。何かを隠しているのは確かです。ですがっ!
断言できますが沖田先生に限って浮気だ二股だなどという、
男の甲斐性と言われるような事は出来っこないのです!
あの唐辺木にそんな器用な真似ができるくらいなら、私は京の寺社の
本堂全ての屋根の上を逆立ちで端から端まで歩きますよっ!」
冗談でも妊婦がそんな事を考えるな、この阿呆・・・と内心で呟きながら
つまりはそれくらいに出来っこ無い事だと確信しているわけだ、
この女は・・・、と眉根を寄せた。
総司の男の甲斐性云々は土方も同感ではあるが、妻とした女子に
ここまで否定される夫というのも何か情けない気がしてくる。
それでもどうにか口を開いた。
「浮気じゃないなら問題無ぇだろうが・・・」
「問題なんですってばっ! 沖田先生なんですよ?
あの天下一とも言える程の野暮天男なんですよ?
相手の女子がどれほど振り回される事か!!」
土方の全身から力が抜けてゆく。
てめぇの亭主の浮気の心配かと思ったら、他の女が可哀想だと
そっちの心配をするのか、こいつは。
「なまじっか人の気持ちを察する事ができて、物腰も優しげだから
騙されるんですよ、あの野暮天のマヌケさに気づかず・・・。
女子の純情を笑顔で踏みにじるんですから。しかも故意じゃないから
文句の持って行き所が無くて、こっちはどれほど涙した事かっ!!」
いつの間にか自分の過去の諸々が重なり合って怒りに油を注いでいるらしい。
「はぁ・・・。それで? どうしたいって言うんだ、てめぇは」
この副長室はお前ら夫婦の駆け込み寺じゃねぇと何度言えばわかるんだ、と
言い飽きた言葉を重ねて口にする気力も、もはや土方には無い。
「ですから暫く里乃さんの家に移ります」
「暫く、とは?」
「沖田先生がざらざらと事情を説明するまでです。お相手の方は儚げで
慎ましやかな実にお美しい方だそうですから、さぞや男としての庇護欲が
満足された事でしょうし。お優しい沖田先生ですから、そちらに日参
されるに相応しい、実にっ!素敵なっ!お話が聞けるはずですからねっ!」
「・・・・・・・・・・・・」
吐き捨てるようなセイの言葉に土方の頬が引きつった。
結局の所、この女は悋気しているのだ。それも深く激しく。
総司の妻となり一家の主婦となったセイの情報網は驚くべきものだった。
京に住み続ける以上隠す事も出来ないと隊士時代に付き合いのあった
方々へは総司共々挨拶してあった。
その人脈だけでもかなりのものだったというのに、総司に嫁してからは
近所の女子衆を始めとして買い物先の店主やら出入りの職人、
棒手振から時折訪れる大原女の物売りに至るまで、
世間話のついでに情報収集をしているらしい。
いつぞや山崎が溜息混じりに呟いていた事がある。
『町衆の情報に関しては、監察全部を動かしても神谷はんに敵いまへん』
その上セイが本気になれば、里乃のツテで花街という最も情報が
集う場所の話も聞けるし、正一を通して子供が何気なく聞いている
大人の話を入手する事もできるのだ。
総司の浮気疑惑にセイがそれらを使わなかったはずが無い。
つまりは“浮気などできるはずもない”と言いながら、セイにとって総司は
黒と判断された訳だ。
あの嫁馬鹿な男がそこまで疑わしい行動を取ることを
不審に感じた土方が首を傾げた時。
しん。
ざわりざわりと落ち着かない様子だった障子の向こうが、突然音を無くした。
その気配の変化に土方同様、セイも感覚を研ぎ澄ます。
――― ぱたぱたぱた
「土方さぁん・・・」
耳慣れた情け無い声を聞いた途端セイが立ち上がり隣室へ滑り込んだ。
同時に障子が開き、涙を滲ませた総司が駆け込んきた。
「セイがいないんですぅっ!!」
第一声がそれか、と土方が苦虫を噛み潰す。
けれどそんな兄分の不快さえ目に入らない男が両手に抱えた
風呂敷包みに顔を埋め、畳に蹲る。
「最近様子がおかしいと思ってたんです。何だか機嫌が良く無いみたいだし、
食欲も無いし。ややがお腹にいる時は、色々と不安定になるものだって
松本法眼から聞いていたから、なるべく普段と変わらないようにしていたのに。
こんな事なら無理をしてでも問い詰めれば良かった・・・」
べそべそと泣き続ける男を見ながら土方が溜息を吐いた。
今日は一体これで何度目だろうか、と考える事すら馬鹿馬鹿しい。
「神谷がいなくなる心当たりは無ぇってのか?」
「ありませんよっ! ある訳無いじゃないですかっ!」
こんなに大事に大事に思ってるのに・・・と、噛みつくように口にした男が
「あっ!」と呟いた。
「・・・もしかして、昨日の夕餉の前にお団子を二十本食べたのが
バレたのでしょうか。ううん、そんな事は無いですよね。
ちゃぁんと夕餉もいつものように食べたし。なんたってセイの作るご飯は
すっごくすっごく美味しいんですから、どんなにお腹が一杯でも
スルスル食べられちゃうんですよねぇ・・・って事は、何でしょう」
風呂敷包みを抱きしめたまま、首を傾げて「う〜ん」と唸る。
「数日前にセイの入っているお風呂場を覗いた事かな? でもあれは“早く
出てきてくださいね”ってお願いしたのに、いつになっても出てこないから
具合でも悪くなったのかって心配になって様子を見に行っただけですし。
邪な考えなんて無かったんですよ? それなのにセイってば凄く怒って。
まぁ、ちょっとだけ見とれてしまって思わず抱きついてしまいましたけど、
夫婦なんだから良いじゃないですかねぇ? 照れて真っ赤になる
セイも可愛いんですけどね。うふふ・・・」
「おい・・・」
「でもお腹にややがいるんですから、無理は禁物です。
男としての欲望をぶつけてはいけません」
「総司・・・」
「そう思って必死に自分を抑えたんですけど、もしかしてそれが不満だった
んですかね。そういえば“隊務以外で隠し事はしないでくださいね”って
言ってましたよね」
「コラ・・・」
「うわぁ。でもこんな事を正直に言えませんよね。そんなの男の都合って
もんじゃないですか。あの大事な大事な大事なセイに、あ〜んな事や
こ〜んな事をしましょうなんて」
「「いい加減にしねぇかっ! このド阿呆っ!」」
自分の世界に浸りきっていた男に向けて同時に怒声が突き刺さった。
土方の声に被ったもう一つの声音の方向へと総司が顔を向けるより早く、
襖を乱暴に開け放ったセイが目の前に迫っていた。
「何を馬鹿な事をほざいてるんですか、アンタはっ!」
ぐいぐいと総司の襟を絞めるセイの頬は、怒りと恥ずかしさで
真っ赤になっている。
「ここをどこだと思ってるんです? 副長室ですよ? 鬼の中の鬼の住処です。
そんな場所でこっ恥ずかしい事をだらだらだらだらとっ!」
探していた人が唐突に出現した事に目を見開いていた総司が、
驚きから立ち直ると同時に目の前の妻をぎゅっと抱きしめた。
「なんだ・・・こんな所にいたんですか。黙って出て行かないでくださいよ。
心配するじゃないですか・・・」
その声音は心底からの安堵を滲ませていて、思わずセイも謝罪の言葉が
唇から零れかけた。
けれどそもそも自分が家を出た原因を思い出し、べりっと音が聞こえる
勢いで総司の体を突き放した。
「心配なんて無用ですっ! 私はしばらく家を出ますのでっ!」
「はぁ?」
一瞬絶句した総司が次の瞬間、刺すような視線を土方に向けた。
「・・・セイに何を言ったんです? 土方さん・・・」
どうして俺を巻き込みやがるっ! という土方の叫びは黒ヒラメの耳に
届く事は無かった。
これ以上セイを興奮させては腹の赤子にも良くないだろうと、
苛立ちを抑えて土方が事情を説明する役を務め、どうにか総司にも
話が理解できたようだった。
「もう・・・何を誤解してるんですかね、この人は・・・」
自分から距離を置いて座り、そっぽを向いているセイを見やって
総司が溜息を吐いた。
「貴女が言ってるのは、これを作ってくれた人の事ですよ」
部屋に入って来た時から宝物のように抱え込んでいた風呂敷包みを
セイの膝元に差し出した。
ちらりとそれを見やったセイに開けてみなさいとばかりに総司が微笑む。
それに背を押されて開かれた中身を見た土方が
ようやく得心がいったとばかりに頷いた。
「ああ、それか」
「ええ、これなんですよ」
男達だけが何やら納得しあっているが、そんな言葉は
セイの耳に入ってこない。
目の前にあるのは淡い桜色の着物だ。
裾に行くほど薄墨がかるそれは、桜という華やかな色合いにも関わらず
しっとり落ち着いた風情を見せている。
「これ・・・」
「ええ。貴女の新年の晴れ着を、と思って仕立てて貰っていたんですよ。
あの人は原田さんのお内儀のご実家に紹介していただいた仕立て屋さんです。
出来上がるのが待ち遠しくて、ついつい通ってしまって」
随分笑われました、と苦笑を浮かべながらも嬉しげなのはセイが自分の選んだ
着物を気に入ってくれたと感じているからだろう。
「綺麗・・・」
「それだけじゃないんですよ?」
セイが指先で撫でるようにしていた着物を総司が除けると、
その下には華やかな帯と同じ布で作られた巾着、
幾つかの箱に収められた櫛や簪が現れた。
「・・・・・・・・・」
「着物は当然私からですが、帯は近藤先生と土方さんから。
巾着は井上さんで、櫛は斎藤さんが祐馬さんの代わりにと。
簪は永倉さんと原田さんと藤堂さんからです」
言葉も無くそれらに見入るセイにひとつひとつ指し示しては説明をする。
「原田さんにおまささんのご実家に紹介して欲しいという話をしたら
いつの間にかこんな事になっていたんですよね。
セイには黙っていて驚かせるつもりだったんですけれど、
いらぬ心配をさせてしまったみたいで、すみません」
ふるふるとセイが首を振った。
もとはといえば自分が勝手に誤解して、勝手に暴走しただけなのだ。
事情を知れば自分の不明が情けなくて涙が滲んでくる。
「ごめ・・・ごめんなさい・・・わ、私が」
囁くようなセイの言葉を総司が遮った。
「いいんですよ。それだけ貴女が私の事を見ていてくれるという
事なんですから。落ち着かない様子だった事を気にしてくれたんでしょう?
だったら嬉しいだけですよ。誤解なんてすぐに解けるんですから」
セイの隣に座り直した総司が落ち着かせるように背中を撫でた。
「ね? お正月にはこれを着てくれますよね?」
甘えるような声音にセイがこっくりと頷くと、総司が幸せそうに目尻を下げた。
その表情に胸を高鳴らせたセイが、熱を持ち出した頬を誤魔化す為に
桜色の着物に視線を移す。
「・・・・・・・・・え?」
眼前で繰り広げられる呆れるばかりに甘くくだらない光景から
現実逃避していた土方も、一点を凝視するセイの様子に不審を覚えて
そちらに目を向けた。
「・・・・・・・・・・・・」
土方が弟分を無言で見やった。
そこには満面の笑みを浮かべた男が座っている。
「あの、これ・・・。これ・・・振袖ですけど?」
「そうですよ?」
恐る恐るというセイの問いかけにも総司に動じる気配は無い。
「だって貴女ったら振袖なんてほとんど着た事が無かったでしょう?
だから近藤先生と話をして、お正月ぐらい着ても良いんじゃないかって」
ね? と微笑む笑顔に邪気は無い。
無いが・・・。
振袖とは未婚の若い娘が身に着けるものであって、間違っても既婚の
しかも妊婦が着るようなものではない。
たとえ娘盛りに花も恥らう可憐なその身を黒い隊服に包み隠し、
白刃の雨の中を駆け回っていたとしても。
そのせいで、女子らしい振袖姿などした事が無かったとしても。
今更そんな姿が許されるはずがないではないか。
セイの頭でぷちぷちと何かが切れる音が響いた。
「何を馬鹿な事を言ってるんですか? それとも何ですか?
これは新手の嫌がらせですか? 何かの罰ですか?」
再び総司の襟をぎゅうぎゅうと締め上げだしたセイの両手を
やんわり包みながら総司が苦笑する。
「嫌ですねぇ。近藤先生も乗り気だったんですよ。私たちが貴女に
嫌がらせなんてするはずが無いじゃないですか」
確かに総司だけならまだしも近藤が関わっている以上、純粋な好意なのだろう。
だからといってこれは納得できないとセイは心の中で叫んだ。
「私に笑い者になれっていうんですか? 嫌ですよ、絶対に着ませんからね!」
「ええ? 駄目ですよぉ。さっき着てくれるって約束したじゃないですか。
それに皆の好意を無下にするつもりですか?」
帯や小物達を総司が指差した。
着物に合わせてくれただろう帯も小物達も、桜の意匠が使われている。
自分を思いやってくれた各人の好意を無視する事などできない。
と、なれば・・・。
セイがぐっと唇を噛み締めた。
「・・・わかりました。袖をばっさり切って、この着物!
明日までに作り直します!」
「そ、そんなっ! 嫌ですよっ! 私はこれを着て欲しいんですっ!」
今にもハサミを取りに駆け出そうとするセイに、夫が必死に取りすがった。
「離せ〜っ!」
「駄目ですってばっ! 夫の命令ですよっ、セイっ!」
「そんな馬鹿亭主、離縁してやるっ!」
「ひっ、ひどいっ!」
「痴話喧嘩なら他でやれっ! この馬鹿夫婦っ!!」
いつもと変わらぬ怒声が副長室に響き渡った。
その後、騒ぎを聞きつけて現れた近藤の穏やかな取り成しに負けたセイは、
正月のみという約束でその振袖を身に着ける事になった。
そんな姿では恥ずかしくて外に出られないと正月は家に籠る事となったが、
可愛らしい姿見たさの男達が年始参りと称しては次々と訪れる。
結果、沖田家は普段にも増して賑やかとなり、寿ぎに満ちた新春を迎えた。